誰もが知るコカ・コーラを製造販売している会社は正しくは「ザコカ・コーラカンパニー」。
ザコカ・コーラカンパニーは、アメリカの企業で、 日本法人は日本コカ・コーラ株式会社である。

●コカ・コーラの「コカ」はコカインのコカだった!?

ジョージア州アトランタにジョン・S・ペンバートンという自然療法家がいた。 南北戦争での負傷の影響でモルヒネ中毒になっていたペンバートンは、 コカインを用いた薬用酒で中毒を治そうと考えた。
しかし、多くの類似品が販売されていたため、 ペンバートンは、ワインに「コカイン」とアフリカの熱帯雨林に植生する常緑樹である「コーラ」のエキスを調合した「フレンチ・ワイン・コカ」を薬用酒として販売した。
その後、コカインの中毒問題や禁酒運動などの影響もあり、 ワインの代わりに炭酸水の風味付けシロップとして販売することにした。 シロップは、ペンバートンのビジネスに参加したフランク・M・ロビンソンによって 「コカ・コーラ」と名付けられた。 1886年5月8日のことである。

●ボトリングシステムの誕生

ペンバートンはコカ・コーラビジネスを成功に導いたものの、 健康を理由にビジネスを売却。 その後、様々な人へとビジネスの権利が移っていき、 最終的には、1888年に後のアトランタ市長になる「エイサ・キャンドラー」が、 権利を獲得し、ペンバートンの息子らと共に「コカ・コーラカンパニー」(以下、コカ・コーラ社)を設立。 Coca-Colaロゴと、Delicious and Refreshing(おいしく、さわやか)のキャッチコピー、一杯5セントでの販売、そして原液の機密保護というスタイルで、コカ・コーラ社は大きく成長していく。 1899年に二人の弁護士がキャンドラーからコカ・コーラの瓶詰め権利を取得。 この二人がそれぞれボトリング会社を設立。 全米各地のボトリング工場とのフランチャイズ契約により、コカ・コーラは全米に普及していった。 当初は、ボトリングの技術力が工場ごとに差があったため、ビンの爆発事故などが多発したため、1916年にビンの標準化を行った。

●ファンタの誕生

1919年に投資家のアーネスト・ウッドラフがキャンドラーにコカ・コーラ社の買収を持ちかける。 買収の提案を受けたキャンドラーは経営から手を引き、新たにウッドラフによってデラウェア州で設立された会社がコカ・コーラ社の商標と、事業を引き継いだ。 1920年代、禁酒法によりアルコール販売が禁止される中、ノンアルコール飲料の販売数が大きく伸びた。 そこで、アーネスト・ウッドラフに代わって、社長の座についたロバート・ウッドラフは広告宣伝に力を入れ、さらには品質管理も徹底した。 この時期にコカ・コーラは海外へと進出した。 海外でもコカ・コーラ社により原液製造、供給と、ボトリング工場での瓶詰めというスタイルが採用された。 その中でもドイツでは1930年に現地法人の責任者になったマックス・カイトの奮闘で国内の売上を伸ばし、ベルリンオリンピックでもコカ・コーラを提供するに至った。 しかし、第2次世界大戦により、コカ・コーラの原液輸入が制限されたため、 乳から乳脂肪分やカゼインなどを除いた水溶液である「乳清」と「フルーツの絞りかす」を 原料にして新たな飲料を製造。 これが「ファンタ」と名付けられ、コカ・コーラ社のコカ・コーラに次ぐ人気商品となる。